ハンデっ子ママになってからのターニングポイント~前編~

こんにちは。
3歳の心臓病(先天性心疾患)の子供を持つ母yurikoです。
今回は、私がハンデっ子ママになってからのターニングポイントについてまとめてみようと思います。

①病気のある子供を産んだ事実を受け入れる事、
②その時の葛藤とその後の変化


が主な内容となるかと思います。
長くなるので前半、後半と分けて紹介していきますね。
前半は内容が暗いです。しかし、それが事実で切り離せない部分なので、正直に書きました。

出産直後のエピソードは過去記事でも紹介しています↓
私流★子ども(0~2歳)の付き添い入院『持ち物リスト』

息子の心臓病が発覚した経緯


息子の心臓病が発覚したのは出産直後でした。帝王切開し息子の泣き声を聞いて、安心した瞬間に小児科医の先生に呼ばれ、息子は抱っこされる間も事なく、手術室から運び出されました。その日の内に専門的な病院へ搬送され、翌日には長時間の手術を受ける事になりました。
翌日あとを追いかけるように私も転院し、夫と2人で息子の手術を終わるのを待ちました。手術の終了予定時刻が過ぎても連絡はなく、本当に無事に終わるのだろうか、息子はどうなるのだろうか…と心配がつのり、ただただ祈るばかりでした。
生き延びる為には今回の手術以外選択肢は無くて、生まれた翌日の大きな手術のおかげで、息子は生き延びる事が出来ました。

息子と会えたのは、手術が終わってICU(集中治療室)に来てからのこと。ICUに居る息子は数え切れない程の点滴や酸素等の管がたくさん繋がっており、薬で眠っていました。

無事に手術は終了しましたが、息子の心臓の病気はこの手術で治るというものではありませんでした。そもそも治る、治らないといった病気ではありません。「病気の状態は今はこういう状態、なので次はここを目指しましょう。」といった感じでした。
この子はこの先どうなっていくんだろう?と将来の事が気になるけれど、お医者さんは今現状の話だけされます。
今思えば当たり前なのですが、当時は生まれたばかりにも関わらず、小学生になったら?大人になったら?とぶっとんで想像したり、考えたりしていました。

産後~NICUでの過ごし方

自分は産後だけど、入院部屋には赤ちゃんがいなく、まだ出産前の妊婦さん達と同部屋で過ごしました。本当なら母子同室で息子が隣にいて、泣き声が響いているハズだったのに、響いているのは搾乳機を動かす音だけでした。
出産直後だけど、産後ハイになる事もなく、周りに出産報告する気分ではとてもありませんでした。その時は息子が生きられる可能性も低く感じ、まるで出産をしたことを隠すかのようでした。
息子がNICUに移動してきて、初めて抱っこした時は嬉しさと同時に、モニターや酸素のチューブ等が繋がっている状態だからか怖いという気持ちが入り交じった気持ちでした。私が先に1人で退院し、そこからはほぼ毎日NICUへ通いました。
でも全然楽しみじゃなかった。
楽しむ余裕もなかった。
息子は口から胃まで管を入っており、薬やミルクを管に通して与える経管栄養でした。最初は看護師さんがするのを隣で見ていたけれど、退院したあと自分で出来るように練習が始まりました。その事にも最初は戸惑ったし、何がなんだか流されるまま。練習の後は眠っている息子の横で、話しかけてもまだ反応のない息子の寝顔を見ながら座っているだけで、数時間の面会にも関わらず時間が長く感じてしんどかったのです。
周りで看護師さん達がお仕事されていて、アラーム音があちこちから響いて、孤独を感じながら、息子に会いに来ているけど、全然楽しくない。どこか緊張したり、ケアの仕方を覚えるのに一生懸命だったりでした。
NICUには息子の他にも何人かの赤ちゃんが同じフロアに居て、私が息子に会いに行く時は面会に来ているママが、1人か2人居るかでした。人見知りの私は、話しかける勇気もなく、その事をのちに後悔する事になりました。

仲間が欲しい

1~2ヶ月経った頃、転院先の病院から出産した総合病院のGCUへ息子が戻る事になりました。GCUでは自宅で過ごす練習と、術後あった水分制限が解除された為、口から母乳を飲む練習をしました(1日1~2回。それ以外は経管栄養であげる)。息子は心臓以外にも腎臓にも病気があった為、戻ってきた病院で腎臓の病気の説明を受けました。また、退院後の訪問看護を勧めて頂き、訪問看護のスタッフの方々や保健師さんと面談もしました。寂しいとか不安とかあったと思いますが、感情に浸る間もなく日々が過ぎていったような気がします。
息子が退院した後は、息子のケアと上の子のお世話で慌ただしく時が過ぎていきました。生活にも慣れて段々と落ち着いてきた頃、赤ちゃんとママのサークルがある様に、障害児のママの集まりとかあるかな…?とふと思いました。近くの保健センターの窓口で、障害児とママの集まりってありますか?と問い合わせたところ、「今は無いですね。」といったお返事にショックを受けて帰りました。
同時期訪問看護師さんから、発達の遅れがある息子に運動機能や言語等のリハビリの相談をしてみたら良いかもしれない、と富山県リハビリテーション病院(通称:県リハ)を紹介されました。直ぐに行きたかったのですが、生後半年頃(9月頃)に手術を予定していた事と、感染症に弱い事もあってインフルエンザの時期を避けるため、来年の春まで待って県リハを受診しました。
リハビリが始まって少し経った頃、リハビリの先生から2階で母子通園で療育に通っているクラスを見学しないか?と紹介され、朝の会を見学したのち契約を交わし、週に数回母子で療育に通う事にしました。
前置きが大分長くなってしまいましたが、その事が私にとってターニングポイントとなりました。



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