息子が小児がんになりまして。vol.8

〜2回目の手術と病院について〜

こんにちは。
のり(8歳・女の子)たけ(6歳・男の子)の母、noritakeです。

男の子は4歳の時に突然、脳腫瘍という小児がんが発覚しました。
前回の話はhttps://mamasky.jp/columns/post/3041

今回は、8時間にも及ぶ手術のお話です。
緊急手術から約2ヶ月後、とうとう開頭手術の日となりました。

男の子は、東京へ行く新幹線に乗るのを全力で拒みました。

前から話してはいたけれど、やっぱりまだ4歳
お姉ちゃんと離れたくないし、もう病院に行きたくない。
お姉ちゃんもしゃくりあげて泣いています。
お母さんも2人の気持ちが痛いほどわかります。

今回は長期戦になるので、大きなスーツケース4個分の荷物のうち、2個分は男の子のおもちゃです。
遠方の為なかなか自宅へは戻れない上、小児病棟ではないので、着替えやオムツなど子どもグッズは

事前に宅配便で送っておきました。

東京の病院に着くとすぐ、男の子はたくさんの術前検査、お母さんは手術や術後の説明を受けました。

手術は翌日10時開始、16時終了予定。
おでこから頭頂部を通って左耳までを切開し、目標は全摘出。今回も、お母さんが男の子を手術台に乗せ、麻酔マスクで眠らせました。

待ち時間はただただ長く、手術の成功だけを祈り続けました。

腫瘍発見時、すでに44mmの大きさでした。

しかし、予定時刻を過ぎても手術室のドアは開きません。
不安と緊張が限界の17時を過ぎた頃、執刀医だけが出てきて

「腫瘍が大きくて時間がかかった、残念ながら左目と視床下部は無理だった。でも見える腫瘍は取れた。」

そして、「君の息子は頑張った。君の息子はラッキーボーイだ」と言われました。
お母さんは、涙で先生の顔が見えなかったけど、先生が肩に乗せた手の重さは覚えています。

それから、さらに1時間後の18時過ぎ、やっと集中治療室に呼ばれました。

男の子はたくさんの機械に囲まれ、何本もの線に繋がれています。
頭は包帯で見えず、目元は腫れ上がり、酸素マスクをつけた男の子は別人のようです。体調を管理するモニターからは一定の機械音がなり続けていますが、男の子は全く動きません。

手術さえ終われば…との願いは叶わず、男の子にとってはこの後からが本当の試練でした。

小児がんや子どもの病院について

全国には「小児がん拠点病院」といって、小児がんの高度な集学的治療(化学療法・手術・放射線治療など)を受けられるよう、厚生労働大臣が指定した病院が15施設。
それから「小児がん連携病院」といって、小児がん拠点病院と連携して診療を行う病院が141施設あります。

2回目の手術の時は、同じくゴッドハンド福島先生の執刀を希望し、同じ病気の子が遠方から2人来ていました。

図を見ておわかりように「小児がんの拠点病院」は北陸にはおろか、日本海側にもありません。

富山県では唯一、富山大学附属病院が「小児がん連携病院」とされています。

さらに、富山県にはこども病院(小児専門病院)もありません。
息子は術後、コロナの影響で東京への通院ができないため、富山大学附属病院でフォローアップを受けています。

遠方での治療となると、家族やきょうだい児への負担、通院や経済的な負担、治療後の社会復帰への負担など、治療以外にさまざまな負担が増えます。

“子どもが病気になった時、
何科に行けばいいのかわからない…”

“気づかないうちに、重症化してしまう…”

”治療が遠方でしかできない…”

病気によっては、町の小児科では診断できないものもあるようです。

かと言って、母親は何がおかしいと思っても、決定的ない事がない限り、お医者さんが大丈夫というならと日々の生活で馴れ合いになってしまうこともあると思います。

我が家の場合も、小児がんの診断をできない町医者を何度も受診し、発覚のきっかけは意外にも眼科でした。

『もっと早く発見してやれたら…』
と、この後悔はいつまで経っても消えないでしょう。

ただし、今だからできるコトがあります。

小児がんや障がい児の現実を伝えるコト
福祉やこども病院の必要性を伝えるコト

そして、いろんな子が個人の選択肢を持って「今」を生きやすい社会になるコトを望んでいます。


今回の病院の情報については、先日mamasky partyで展示した「小児がんの子どもたちの絵画」の、当事者@kagayaku87さんから提供頂きました。

この絵画は彼女の息子さんが、9歳の時に描かかれたものです。彼は急性リンパ性白血病でした。

私はこの絵を見るとコクワガタのように、
勇気を持ってがんに立ち向かった少年を想像します。

また、今回の絵画展は、5/17(月)〜28(金)まで射水市役所でも展示して頂ける事となりました。

2021年4月。
4歳で脳腫瘍を患った息子も、6歳になりました。
困難なコトはあるけれど、それでも元気です。
いつか息子が「僕はラッキーボーイだ」と言えるますように。

輝く子どもたち 

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