一転びめ 〜よもやよもや、母として不甲斐なし〜

こんにちは、ご無沙汰してます。
マイペースな娘(のり8歳・女の子)と、脳腫瘍サバイバーの息子(たけ6歳・男の子)の母、noritakeです。

「息子が小児がんになりまして」がひと段落して、次はどんな感じでいこうかなと考えてるうちに、コラムを書き始めて早一年、このような機会を下さったmamaskyさんに改めて感謝感謝です。


ところで、小児がん含め難病児や障がい児に限らず、子育てって普通にいろんな苦労がありますよね。noritakeは高齢出産なので子育てはもちろん、現在更年期のごちゃごちゃと親の介護でバタバタな毎日です( ;∀;)
愛しい我が子と毎日笑顔でいたいと思っても、山あり谷あり喜怒哀楽の繰り返しです。しかし、我が子のコトとなると簡単にはへこたれません。
だるまの如く起き上がる、だって母ですもの。

少しだけ母noritakeの自己紹介を…
私は若い頃から母親になるのが夢でした。子供が大好きだったので小学校の頃の夢は「保母さんになること」でした。そして、中学時代は部活に明け暮れ、やっと高校時代にオシャレに目覚め、高校卒業と同時に東京で美容師を目指していました。それがまた辛いこともあったけど、性に合って楽しかったのです。
で、夢中になってる間に三十代後半…ちょうどその頃いろいろあって富山県に戻り結婚しました。好き勝手やって、結婚したらすぐに授かるだろうなんて甘い考えでしたね。第一子を授かるのには苦労しました。子だくさん家族を夢見ていたのですが、今は二人の子だけでいっぱいいっぱいです(^^ゞ

そして苦労して授かった娘(第一子)ですが、出産時から頭囲が大きく検査のたびに「水頭症」を疑われてました。(と言っても頭が大きいのは父親譲りなのです…。)おっぱいも中々上手に飲めず何度も噴射し、夜泣きが得意な子で夜中の散歩は日課になっていました。今思うと私自身初めての子育てで、塩梅がわかっていなかったんでしょうね。
それに比べて息子(第二子)は、予定日より二週間早く産まれましたが、最初から上手におっぱいを飲み、周囲がどんなにうるさくてもよく寝る子でした。ただ、生後半年頃からへそヘルニアになり、腹圧が上手にかけられず乳児の時からかなりの便秘で嘔吐することもあました。
そんないろんなコトが重なって「まさか我が子は大丈夫」と思いこみ、息子の脳腫瘍の兆候を見逃していました。

≪一転びめ≫ 
母として一番の後悔

息子が3歳の冬のコトです。テレビを見る時にやけに頭を振ったり、近づいたりしてました。まさか目が見えなくなり始めてるとは夢にも思わず、「テレビから離れなさい」と注意ばかりしていました。
それから息子が4歳で年少さんになった春のコト。朝方に頻繁に嘔吐したり、日中はあくびばかりで夕方からは高熱を出したりする事が多くなりました。いろんな町医者に何度も行きましたが「胃腸の弱い子」「新しい環境でのストレス」と言われ、気になりつつも日々の生活に流されていました。
今思うとすべてが脳腫瘍の兆候だったんですね。後悔先に立たずとはまさにこのことです。
そして同じ年の夏のコト、偶然受診した眼科での診断が「すでに左目が見えていない可能性があります。」と。その時ですら私は脳腫瘍だなんて想像もせず、治療すれば治ると思っていました。
だから、脳腫瘍と告知された瞬間、私はあまりのショックで泣くこともできず、付添ってくれた姉に支えられながら、すでに歩けなくなっていた息子をベビーカーに乗せて帰って来ました。
この時から「もし、もっと早く気づいてたら」「もし、自分がしっかりしていれば」と後悔が始まり、事あるごとに自責の念に駆られてしまうのです。

≪一起きめ≫ 
母としての本能、とにかく動く

大学病院を紹介され診断の時、とある脳外科医には「一か月ほど様子をみましょう」と言われました。でも、小児科医には「国立成育病院研究センターを」と勧められました。
ただ明らかに日に日に体力が衰える息子を目の当たりにし、一か月もこのままでいいのか母親の直感で不安を感じたのは覚えています。
それまで「子どもの脳腫瘍」とか「小児がん」という言葉も知らなかったので、家族総出で息子の脳腫瘍について調べました。しかし、調べれば調べるほどコトの重さに気づかされました。そして診断の翌日、SNSで調べた著名なドクター数人に現状とCT写真をメール送信しましたが、やはりどの医師も診断が異なりました。
当時、セカンドオピニオンという言葉すら知りませんでした。ただの母親には「どの医師を信じるか」「どんな治療法がいいか」などわかるはずもなく診断から一週間、途方に暮れていた時です。
メールしていたドクターの中でも圧倒的な手術成績があり「手術一発全治」をモットーとし、世界で活躍しているゴッドハンドからの運命の連絡がきました。そのドクターからは「緊急な応急処置をしないと、両目の失明や命の危険性もある」と、告げられました。
私たち親子は、迷うことなく翌日には上京し一度目の緊急手術をしました。
おかげ様で、歩く体力もなくなっていた息子もこの応急手術して三週間後には、自分で歩いて帰宅しました。

これが人生で一番大きな、ターニングポイントです。
診断から応急手術までの約十日間は怖すぎて、安心して寝ることも食べることも泣くこともできませんでした。
でももしあの時、泣き崩れたままで迷っていたら、もっともっと後悔していたと思います。そして今考えるとあれは、ただ息子を守りたい一心の母親の本能的な行動だったと思います。

強い願いがあるなら、とにかく動く。
ダメもとでもいい。
とにかく動けば何とかなる。
何とかならなければ、また動けばいい。

あの時は気づかなかったけど、私の場合はそうやってひとつ目の山を乗り越えたんだと思います。
今も後悔の気持ちは消えません。多分ずっと後悔し続けると思います。それは母親だから仕方ありません。
だけど、いろんなママとの出会いや子どもたちの笑顔のおかげで、自責の念からは少しずつ解放されつつあります。
そして、今は何かあったら後悔する前にとにかく動くようにしています。
うん「母は強し」って本当ですね。何度転んでも立ち上がれば、子どもも親も強くなる!

読んで頂き、ありがとうございました♬
次回は二転びめです。

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