それは必要な配慮?それとも過剰な保護?
こんにちは
料理好きの娘(のり・9歳)半盲児の息子(たけ・7歳)の母、noritakeです。
息子、最近「学校行きたくない、目の学校(視覚支援学校)の方がいい」と、言い始めました。
そして「僕の目は、いつになったら見えるようになるの?」とも聞いてきました。
これは息子から母への、素直で本気でそして一番辛い質問です。
息子は脳腫瘍の影響により視覚障害が残り、現代医学だと回復する確率は99%無いだそうです。
現状の見え方は、例えるなら絵本のはらぺこあおむしだと、息子の世界はこんな感じです。
この見えない部分をカバーするため、息子はいつも耳を澄まし、首を振っています。
視力は0.2ですがメガネでの矯正はできず、メガネはかけていません。だから、外見からは視覚障害とわからりづらいグレーな子です。
母としては、地元での成長を望み支援学級開設に奮闘しましたが、息子にとっては支援学校の方が良かったのかと、いつも不安になります。
必要な配慮
学校では、1学期の間は様子見を含め全授業を、支援級の担任と一緒に交流級と呼ばれる通常クラスで受けていました。でも、やはり座学の読み書きが困難で、聞いて答えることはできるけど加配なしではついていけません。だから少しずつ差が広がってきて、息子自身も劣等感のような、居心地の悪さを感じできたようです。
また、工作でも色や感覚が掴めず思った以上に手こずってしまい自信喪失途中放棄…
そこで2学期からはほぼ支援級で過ごす事になりました。これは息子にとって安心して集中できたようです。
ただ、息子が唯一愚痴ったのは体育の授業の事です。
息子の気持ち
体育の授業では「たけ君は、視覚障がいがあるから気をつけよう」という説明で、いざ開始。
そしたら、
⚽️サッカーでは相手にして貰えない
🏐ドッヂボールでは誰にも狙われない
🏀バスケでは誰にもパスして貰えない
でも息子は
⚽️体育もサッカーも大好きだし
⚾️キャッチボールも得意だったし
🏀バスケのゴールだってできるのに…
一番大好きな体育で、たくさんの人の中で、言葉にならない孤立感。
息子が何度「ここにいるよ!」とアピールしても「たけ君は危ないから」と、ボールに触ることもできないと、泣いて話してきました。
「僕もいるのに、みんなの中で僕だけひとりぼっち。」
息子の言葉を聞き、その時の息子を想うと母は悲しくて悔しくて「そぉか、そぉか」と抱き締める事しかできませんでした。
これは過剰な保護?
たしかに、息子は離れた所や早い動きは見えづらいし、みんなには見えてるものが息子には見えてなかったりするから、転んだりぶつかったりしやすいです。
だから、先生方の心配はホント、わかるんです。息子以外の子たちの安全確保も必要だし、友だちの行為も優しさからで除け者にしてる訳でないとわかるんです。
でもね、なんでも大人が先回りして子どもがやってみる前から制限するのは、”工夫すればできるコト”を”経験せずにできないコト”にしてしまうのではないかと思うのです。たしかに何かあってからでは困ることもあるのですが、頭で考えることと体験して感じるのでは全然違うと思うのです。
「必要な配慮」と「過剰な保護」その微妙なバランスは親でさえも毎日迷い、気持ちや答えもコロコロ変わります。
息子と娘の大好きな場所、母の安心できる場所
息子は脳腫瘍発覚前から、スポーツが苦手な娘と一緒に地元のキッズクラブに通っています。
退院後、治療の影響で高度肥満になった時期がありました。しかし、そのままでは合併症を招きかねず運動が適度な必要でした。でも、その時、息子はまだ体も思うように動かず、視覚の障がいに慣れず、母から離れる事を極端に怖がっていました。それに私自身も心配で超過保護になっていました。
そんな時、相談したのが通称スマイルキッズ(笑顔スポーツ学園)の先生です。
先生は息子の病気や障害を丁寧に聞いて下さったあと、障害のある教え子がオリンピックを目指すまでになってる事、そのご両親の子育てや考えなどを教えて下さいました。
そして”指導”とか、”みんなと同じ”とかではなく、息子の表情を見て積極的というよりは息子の反応を粘り強く待つ感じ?”計画通り”ではなく”臨機応変”な感じ?と言えばいいでしょうか。
障がいのあるコトをいわゆる”特別な配慮”というより、スポーツが苦手と同じような”個性や性格”のように受け入れてくれました。
それが息子には合っていたらしく、最初は怖々ながらも今では超のびのび過ごしています。だから、気分や体調が芳しくなく、楽しめない日はあってもキッズクラブだけは休みたいとは決して言いません。
そこでは豪快に転ぶし、よくぶつかるし、友だちに迷惑かける事もあるけれど、友だちと一緒に大笑いして汗だくになって帰ってきます。自信をなくした息子の病気や障がいをシンプルに受け入れ、のびのび参加させてくれるキッズクラブに感謝感謝です。
無限の可能性
この”無限の可能性”という言葉は、私たち親子の好きな歌の歌詞なんです。
いつからか「インクルーシブ」とか「合理的配慮」とか、調べないとわからないような言葉でひとまとめにされてるけど、大切なのは誰もが笑顔で過ごせる事であって、その方法はみんな違ってそれぞれの”無限の可能性”があると思うのです。
だから私は子どもたちが困った時「できない理由がわかれば、できる方法も見つけられるよ」と、一緒に考えるようにしています。と言いつつも、ついつい人と比べたり、親の答えを押し付けたくなるけど、最後に決めるのは子どもたち。
誰もが悔しい思いや寂しい思いをするし、何度挫折を味わったとしても、ひとつひとつの経験が子どもたちの”無限の可能性”に繋がる事を願っています。
いやはや母、まだまだ修行中で、親子での試行錯誤は続きそうです。
読んで頂きありがとうございました♪